新宿駅にて

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曇天であった。

 

厚い雲に覆われた空は、晴天とのコントラストを強く感じさせ、かつ暗い心情を表現するのによく引き合いに出される。音も「どん・てん」と発声時に重低音を響かせやすい構成だ。陰鬱な佇まいに溢れており、情緒を描写するときの一単語として機能面で優れている。先人の言語感覚はあなどれない。

 

さて、今日は所用があり新宿駅の東口に向かっていると、休日だからか隙間が見つからないくらい、多くの人が早足で行き交っていた。エネルギーの量が多いのに、灰色の空から降る同色の空気が腐った水飴のように、ねっとりと周囲にまとわりついている。そのせいか、人間の顔まで灰色がかっていた。

 

……ように、思えた。

 

 

 

じわり

 

 

 

交番前、ロータリーの中心に「ライオン広場」と呼ばれる、円形の土地がある。そこを横切ってJR改札口までの道のりを歩いている間、20代前半の男性が白い紙を胸の前に抱えて直立しているのが見えた。

 

大学生だろうか。メガネをかけて、オリーブグリーンのジャケットを着ている。イメージの中の男子大学生から出てきたような風貌だ。文字が読めるくらい近づくと、「困っています 誰か助けてください」と青い油性インクで書かれた文字を認識できた。数時間持ち続けているため手の平の湿気が伝わったのか、最初からなのか、画用紙にシワが寄っている。

 

僕は歩くスピードを落とさずに、彼の眼前を通り過ぎる。心理実験の一環か、趣味の悪いジョークか、それとも流行りのYouTuberが動画ネタとしてやっているのかもしれない。

 

声をかけて確かめれば良かっただろうか。本当に救いを求めていたら?いや、誰かがその役目を果たすだろう。はい、10メートル離れた、もう遅い。

 

 

 

ずるり

 

 

 

ルミネと一体になった新宿東口のビルに入り、階段を降りて改札までたどり着いた。改札機を挟んで、外国人の男女が何か話していた。男性が構外側で、女性が構内側だ。一目で何かしら困っている状況なのだな、と判別できる。

 

電車に乗りたいのか、それとも駅構外に出たいのかでより困っている立場が変わる。

 

僕は緑色の機械にSuicaをかざして、彼らの横を通り過ぎる。きっと、最終的には、駅員が対応するべきだ。僕には関係ない。

 

 

 

ぐしゅり

 

 

 

東口と西口をつなぐ、広い改札内の空間は、駅前より一層多くの人間で溢れかえっている。床に落ちたティッシュペーパーが目に止まった。蛍光灯の明かりで、紙の白さと誰かに踏まれて付いた汚れのコントラストが引き立っている。歩行者に蹴飛ばされたおかげで、雪の上に付けた足跡のように、等間隔に散らばっていた。

 

手を繋いだ2人の少女が正面から歩いてきて、ぶつかりそうになる。彼女らがおそろいで着ているジャケットは、原色がちらついて新宿ではよく目立つだろう。2人が繋いだ手の間に入ってしまい、一瞬、動きが止まる。半歩下がってお互いが横にそれたら、また前進し出す。声を発することは無い。

 

階段を上がりホームに立ち、電車を待つ。横一列に並ぶ大勢の一人であるワタクシ。車両が到着し、窓ガラスに顔が映る。アレッ、これは誰?

顔、人間の顔がある。「アイデンティティ」とは何でしたっけ。

 

ドアが開いて、車両に乗り込む。黒いキャップやら、あちらはピンクに、こちらは金色に染まった頭部やらが点在している。僕の目玉は、あるはずの位置におらず、天井に張り付いてそこに居る全員のつむじに視線を送っていた。蛍光灯の明かりに照らされて、彩度を下げた写真のような光景が縦長に広がっている。皆、首から「他人」と書かれたボードをぶら下げていた。

 

今日は、たまたま天気が悪いからこんな気分になるのだ。ひとときのセンチメンタリズムに、酔っているなんてバカバカしい、と、思い直す。大体、そういうときに、道行く他人のことがひどく愚鈍に見えたり、誰かが困っていそうな状況に敏感になったりするものだ。そんな自己陶酔のエモーションが、思春期のときに捨てられないなど、僕が最も気の毒である。

 

 

 

視線を落とすと、自分の首からも「他人」と書かれたボードが下がっていた。

 

 

 

新宿は、他人の集合体。

 

 


ベルが鳴って、電車が動き出した。

東京の地下空間

東京の地下が好きだ。

 

いや、正しくは大都市の地下が好きだ。

 

大都市、と汎用性の高いワードチョイスをしたが、僕は東京以外の大都市をよく知らないので、やっぱり東京の地下が好きだ、と言った方が正確だろう。もしくは東京都の地下。

 

しかし東京の地下から感じるのは、「大都市」という3文字の並び。

 

太陽の光が届かないコンクリートの大空間が持つには、「東京」の2文字は生命のにおいが強すて、結びつかないように思える。

 

東 京

 

押し込められた性欲がオーラのように滲み出る地方出身の大学生、ワーキングプアに嘆くサラリーマン、和装をまとって山手線に乗る高齢女性……

 

色々な属性の人間、そして彼ら彼女らの想い、日々のアクティビティ、歴史を内包するのが「東京」の文字列であり、人間の営みなど露ほども知らぬ巨大な地下建築とは親和性がそれほど無い。きっと東京の地下を構築するコンクリートに、「東京」の2文字を塗りつけても、テフロン加工されたフライパンに落とした油のごとくツルンと滑り落ちてしまうだろう。

 

人口1300万人の足元を牛耳っているにも関わらず、所在地の文字イメージを寄せ付けない孤高の存在。それが、東京の地下空間。

 

ちなみに「東京都」と、「都」を1つ付けてしまうと行政っぽさが強くなりすぎて、派手な色をした新聞の折込チラシで工作したクリスマスツリーのオーナメントぐらい、ダサいし合ってない。

 

東京の地下空間がなぜ好きかと言うと、都市空間の中における断トツのニュートラルさ。これに尽きる。

 

多分、自然の産物と並列にしても、遜色がない。生活インフラとして人間の手によって造られてはいるが、そこにモノとしての意識を感じない。オーストラリアのエアーズロックが、一般認知されていて、毎年大勢の旅行者に注目されているにも関わらず、人間の営みとは別の次元に存在しているのと似ている。時間感覚がもう桁から違っている。寿命の概念を持たないコンテンツ。

 

同じ建造物でも、例えばコンビニやビルなどは人間が住まなくなったら、モノの意識も死ぬ。逆に言うと、それらは空間の匂いだったり、壁に付いた汚れや、窓ガラスの拭き残し跡から、生きている人間の念みたいなものを感じられる、期間限定の良さがある。

 

東京の地下は人類が滅亡しても、ただひたすら、同じ場所に留まり続ける。そんな圧倒的別次元の存在と同化しながら、飲み会の待ち合わせ場所に向かって足を動かしているとき、気分の高まりを感じるのだ。

 

最近、丸ノ内線西新宿駅から新宿方面に、地下道が建設された。せいぜい2メートル足らずの人間が往来するのに、地面から天井まで4メートル弱の高さがあって、とても良い。規模が大きくなればなるほど、それはリアリティを手放して、森羅万象へと近づいていく。

 

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多分、ダムとか鉄塔とかも存在としては近いはず。

 

僕は、その魅力にはまだ気付けていないけれど、いつか、気付くときがくるかもしれない。