東京の地下空間

東京の地下が好きだ。

 

いや、正しくは大都市の地下が好きだ。

 

大都市、と汎用性の高いワードチョイスをしたが、僕は東京以外の大都市をよく知らないので、やっぱり東京の地下が好きだ、と言った方が正確だろう。もしくは東京都の地下。

 

しかし東京の地下から感じるのは、「大都市」という3文字の並び。

 

太陽の光が届かないコンクリートの大空間が持つには、「東京」の2文字は生命のにおいが強すて、結びつかないように思える。

 

東 京

 

押し込められた性欲がオーラのように滲み出る地方出身の大学生、ワーキングプアに嘆くサラリーマン、和装をまとって山手線に乗る高齢女性……

 

色々な属性の人間、そして彼ら彼女らの想い、日々のアクティビティ、歴史を内包するのが「東京」の文字列であり、人間の営みなど露ほども知らぬ巨大な地下建築とは親和性がそれほど無い。きっと東京の地下を構築するコンクリートに、「東京」の2文字を塗りつけても、テフロン加工されたフライパンに落とした油のごとくツルンと滑り落ちてしまうだろう。

 

人口1300万人の足元を牛耳っているにも関わらず、所在地の文字イメージを寄せ付けない孤高の存在。それが、東京の地下空間。

 

ちなみに「東京都」と、「都」を1つ付けてしまうと行政っぽさが強くなりすぎて、派手な色をした新聞の折込チラシで工作したクリスマスツリーのオーナメントぐらい、ダサいし合ってない。

 

東京の地下空間がなぜ好きかと言うと、都市空間の中における断トツのニュートラルさ。これに尽きる。

 

多分、自然の産物と並列にしても、遜色がない。生活インフラとして人間の手によって造られてはいるが、そこにモノとしての意識を感じない。オーストラリアのエアーズロックが、一般認知されていて、毎年大勢の旅行者に注目されているにも関わらず、人間の営みとは別の次元に存在しているのと似ている。時間感覚がもう桁から違っている。寿命の概念を持たないコンテンツ。

 

同じ建造物でも、例えばコンビニやビルなどは人間が住まなくなったら、モノの意識も死ぬ。逆に言うと、それらは空間の匂いだったり、壁に付いた汚れや、窓ガラスの拭き残し跡から、生きている人間の念みたいなものを感じられる、期間限定の良さがある。

 

東京の地下は人類が滅亡しても、ただひたすら、同じ場所に留まり続ける。そんな圧倒的別次元の存在と同化しながら、飲み会の待ち合わせ場所に向かって足を動かしているとき、気分の高まりを感じるのだ。

 

最近、丸ノ内線西新宿駅から新宿方面に、地下道が建設された。せいぜい2メートル足らずの人間が往来するのに、地面から天井まで4メートル弱の高さがあって、とても良い。規模が大きくなればなるほど、それはリアリティを手放して、森羅万象へと近づいていく。

 

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多分、ダムとか鉄塔とかも存在としては近いはず。

 

僕は、その魅力にはまだ気付けていないけれど、いつか、気付くときがくるかもしれない。